
この記事では、伏見にある醍醐寺について解説していきます。
本記事の内容
- 醍醐寺の歴史
- 見どころ
- 文化財について
- アクセス
本記事を読んでいただければ、醍醐寺の魅力をわかっていただきます。
Youtubeでも醍醐寺を紹介しています。
目次
醍醐寺ってどんなお寺?
醍醐寺は、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。
醍京都市伏見区の醍醐に位置する真言宗醍醐派の総本山となる寺院です。
山号は醍醐山。
本尊は薬師如来。
醍醐寺は200万坪という広大な境内を持ち、上醍醐と下醍醐にわかれています。
国宝や重要文化財を含む15万点以上の寺宝を所蔵しています。
豊臣秀吉による醍醐の花見が行われた地としても知られています。
歴史
平安時代初期の貞観16年(874年)に、空海の弟弟子にあたる聖宝が開山し、准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて、笠取山山頂付近を醍醐山と命名しました。
貞観18年(876年)には聖宝によって、准胝堂と如意輪堂が建立されています。
醍醐天皇の影響
醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とし、手厚い庇護を与えました。
元々、醍醐寺は上醍醐を中心に多くの修行僧をして発展しています。
醍醐天皇によって建てられた建物
- 薬師堂
- 釈迦堂(金堂)
醍醐天皇の尽力により、醍醐山麗の広大な大伽藍=下醍醐が形成されたと言われています。
応仁の乱後
応仁の乱などで下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残されるだけとなってしまいました。
室町時代の文明元年(1469年)には、村民が醍醐寺に納める年貢を減らすように要求する目的の暴動が起こりました。
暴動は、武装した僧兵たちが弾圧を行い多くの人々のが荒廃していく結果となっています。
しかし、その後安土桃山時代には、豊臣秀吉によって花見が醍醐寺で行われることに決まりました。
秀吉のおかげで、三宝院が再興されるなどし、伽藍が伽藍が復興されはじめ慶長3年(1598年)には醍醐の花見が盛大に行われました。
豊臣秀頼の功績
秀頼によって伽藍の整備が行われ、慶長5年(1600年)には秀吉の代から行われていた金堂の移築工事が完成しました。
秀頼の功績
- 如意輪堂
- 開山堂
- 五大堂(現存せず)
- 西大門
明治以降
明治期の廃仏毀釈の際、数多くの寺院が廃寺となりました。
しかし、寺宝が流失したりする中で、醍醐寺はその寺宝を良く守り抜いて時代の荒波を切り抜けています。
激動の醍醐寺
- 山火事により短時間で経蔵、西国三十三所第11番札所の准胝堂が焼失
- 1968年(昭和43年)5月に准胝堂が再建
- 1995年(平成7年)1月、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の影響で、五重塔・金堂などの漆喰が剥がれる
- 2008年(平成20年)8月24日、落雷による火災で上醍醐の准胝堂が全焼
上醍醐と下醍醐
醍醐寺と一言で言っても、簡単ではありません。
実は醍醐寺って大きく2つの場所に分かれています。
それが上醍醐と下醍醐。
本章では、それぞれの特徴などを解説していきます。
上醍醐
長らく西国三十三所第11番札所が存在していました。
醍醐寺は西国一険しい札所として有名です。
上醍醐の境内に到着するには少なくとも1時間近くは山道を歩かねばならず、体力が必要です。
実際に僕も登りましたが、成人男性でも息切れするほどの山道です。
醍醐山の入り口には女人堂があります。
下醍醐に負けなくらい貴重な建物が多く、ぜひ登っていただきたい山ですね。
主な建物は下記の通りです。
歴史的な建造物
- 国宝の薬師堂
- 醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿
- 准胝堂跡
- 五大堂
- 上醍醐には有名な「醍醐水」
- 如意輪堂
- 開山堂
上醍醐の風景




下醍醐
下醍醐は上醍醐に比べ、簡単に参拝できるため非常に人気のある場所です。
上醍醐とは対照的に豪華な伽藍(※)が広がっています。
下醍醐の建物は、応仁の乱以降も全焼を繰り返していますが、五重塔は創建当時のまま現在に残ります。
また五重塔内部の壁画も国宝に指定されており、壁画中の空海像は同人の肖像としては現存最古のものとされています。
伽藍(用語解説)
伽藍とは、僧が修行する場所という意味。
現在では寺院全体を伽藍と呼ぶようになっている。
歴史的な建造物
- 金堂(国宝)
- 五重塔(国宝)
- 清瀧宮本殿(重要文化財)
- 三宝院...etc
下醍醐の風景







醍醐寺の文化財
醍醐寺に関係する文化財は多く、簡単にまとめてみました。
国宝
- 金堂
- 五重塔
- 清滝宮拝殿(上醍醐)
- 薬師堂(上醍醐)
- 三宝院唐門
- 三宝院表書院
絵画
- 絹本著色五大尊像
- 絹本著色文殊渡海図
- 絹本著色訶梨帝母像
- 絹本著色閻魔天像
- 五重塔初重壁画(板絵著色)18面
- 紙本著色絵因果経
彫刻
- 木造薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置)
- 木造虚空蔵菩薩立像
書跡・典籍・古文書
- 大日経開題 弘法大師筆
- 後宇多天皇宸翰当流紹隆教誡(三通)
- 後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)(後醍醐天皇筆・文観房弘真料紙装飾・奥書)
- 狸毛筆奉献表 伝弘法大師筆
- 理源大師筆処分状
- 醍醐寺文書聖教(もんじょしょうぎょう) 69,378点
- 宋版一切経 6,102帖(附 経箱604合) - 2017年度国宝指定
重要文化財
建造物
- 清滝宮本殿(下醍醐)
- 如意輪堂(上醍醐)
- 開山堂(上醍醐)
- 三宝院殿堂(玄関、勅使の間・秋草の間・葵の間、庫裏、宸殿、純浄観、護摩堂)
- 三宝院宝篋印塔
絵画
- 絹本著色阿弥陀三尊像
- 絹本著色大日金輪像(1902年重文指定、98.2×60.9 cm)
- 絹本著色大日金輪像(1941年重文指定、96.4×83.3 cm)
- 絹本著色虚空蔵菩薩像
- 絹本著色地蔵菩薩像
- 絹本著色普賢延命像
- 絹本著色弥勒菩薩像
- 絹本著色大元帥明王像(卅六臂、八臂、四臂)3幅・毘沙門天像・伝釈迦曼荼羅図・虚空蔵曼荼羅図(大元帥法本尊像)
- 絹本著色愛染明王像
- 絹本著色金剛夜叉明王像
- 絹本著色大威徳明王像
- 絹本著色五秘密像
- 紙本墨画不動明王像 5幅
- 紙本墨画密教図像 39点(明細は後出)
- 絹本著色山水屏風 六曲屏風一隻
- 絹本著色仁王経曼荼羅図
- 絹本著色般若菩薩曼荼羅図
- 絹本著色弥勒曼荼羅図
- 絹本著色両界曼荼羅図
- 絹本著色六字経曼荼羅図
- 紺絹金泥六字経曼荼羅図
- 紙本著色十巻抄(第十巻補写)
- 絹本著色満済像(土佐行広筆、自賛及び永享六年の自筆開眼供養裏書)、絹本著色義賢像、絹本著色義堯像(天正十三年義演の開眼供養裏書)、絹本著色義演像(寛永四年堯円の開眼供養裏書)、絹本著色覚定像
- 金地著色扇面散図 伝俵屋宗達筆 二曲屏風一双
- 金地著色舞楽図 俵屋宗達筆 二曲屏風一双
- 紙本著色調馬図 六曲屏風一双
- 紙本墨画芦鴨図 俵屋宗達筆(二面衝立)
- 三宝院障壁画 72面(明細は三宝院の項を参照)
彫刻
- 木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置)
- 銅造阿弥陀如来坐像
- 木造阿弥陀如来坐像
- 木造千手観音立像
- 木造如意輪観音坐像
- 木造地蔵菩薩立像
- 木造弥勒菩薩坐像 快慶作(三宝院本堂安置)
- 木造閻魔天騎牛像
- 木造吉祥天立像
- 木造金剛力士立像(所在西大門) - 長承3年(1134年)造立
- 木造帝釈天騎象像
- 木造五大明王像(旧三宝院護摩堂安置)
- 木造不動明王坐像 快慶作
- 木造不動明王坐像
- 木造五大明王像(上醍醐五大堂安置)
- 木造理源大師坐像(開山堂安置)
醍醐寺の場所
醍醐寺は京都市内の中にありますが、宇治市との境界に近く交通の便は若干悪いですね。
アクセス
醍醐寺までのアクセスは3通りあります。
バス
- 山科駅および京阪山科駅より、京阪バス22・22A・24・24A号経路「醍醐寺前」下車すぐ。
- 醍醐駅(京都市営地下鉄東西線)より、徒歩10分(パセオ・ダイゴロー東館2階から続く「緑道」経由)。または醍醐コミュニティバス4号路線「醍醐寺前」下車すぐ。
- 六地蔵駅(京阪宇治線・JR奈良線・京都市営地下鉄東西線)より、京阪バス22・22A号経路「醍醐寺前」下車すぐ。
- 京都駅八条口より、京阪バス301号経路「醍醐寺」下車すぐ。
- 竹田駅(近鉄京都線・京都市営地下鉄烏丸線)より京阪バス2号経路(この経路のみ洛南営業所による管轄)「醍醐寺前」下車すぐ。
- 三条京阪・四条河原町・清水五条駅より、京阪バス86号・86B号経路「醍醐寺前」下車すぐ。
観光客の方は京都駅からのバスが楽です。
電車
最寄りの駅はなく、最も近い駅は市営地下鉄の石田駅になります。
石田駅から醍醐寺までは徒歩20分ほどです。
散歩を兼ねて醍醐寺に行くなら、ちょうど良いかもしれません。
車
醍醐寺には駐車場が完備されています。
午前9時から夕方5時までです。
時間帯は季節によって変わるため、事前に確認しておきましょう。
僕も駐車場を利用しましたが、駐車場は広く停めやすかったですね。
料金は1,000円ほどでした。
御朱印について
醍醐寺では御朱印をもらうことができます。
注意点としては、御朱印をもらう場所に行くためには入場料を支払う必要があります。
御朱印は下醍醐の伽藍エリアにある観音堂でもらうことができます。