
この記事は、京都・伏見にある安楽寿院についてまとめています。
安楽寿院は、鳥羽上皇が作った仏道を起源とする皇室ゆかりの寺院です。
この記事のまとめ
- 歴史
- 見どころ
- アクセス
安楽寿院をもっと詳しく知りたいという人は、こちらんYoutubeで解説しています。
安楽寿院とは?

安楽寿院(あんらくじゅいん)は、京都市伏見区竹田にある真言宗智山派の寺院です。
本尊は阿弥陀如来で、鳥羽上皇が造営した仏堂を起源とする皇室ゆかりの寺院になります。
境内に接して鳥羽天皇と近衛天皇の陵があります。
歴史

安楽寿院は、付近一帯は平安時代末期(11~12世紀)、院政の舞台となった鳥羽離宮の跡地です。
つまり、安楽寿院は離宮内に営まれた仏堂の後身ということのなります。
鳥羽離宮は、応徳3年(1086年)、時の白河天皇が退位後の居所として造営を始めたものでした。
平安京の南に位置する鳥羽の地は桂川と鴨川の合流点にあたり、交通の要衝であるとともに風光明媚な土地でもありました。
現在の近鉄竹田駅、名神高速道路京都南インターチェンジ付近が離宮の跡地で、東西約1.2~1.5 km、南北約1kmの範囲に御所、庭園、仏堂などが営まれました。
最初に営まれた御所は後に南殿と称され、その後、北殿、泉殿、馬場殿、東殿、田中殿などが相次いで建設され、白河・鳥羽・後白河の3代の院政の舞台となりました。
皇室ゆかりの寺院
- 南殿:証金剛院
- 北殿:勝光明院
- 泉殿:成菩提院
- 東殿:安楽寿院
- 田中殿:金剛心院
実は、鳥羽離宮内の他の御所や仏堂が跡形もなく滅びてしまっています。
そのため、現存する寺院としては安楽寿院が唯一の寺院と言えます。
建物自体は再建されたものですが、それでも当時の面影を現在でも感じることができる安楽寿院は貴重な存在です。
中世以降の安楽寿院

安楽寿院は歴史があるものの、中世以降に再建された寺院です。
地震や火災の影響
永仁4年(1296年)と天文17年(1548年)に火災に遭い、文禄5年(1596年)の慶長伏見地震でも被害を受けてしまいました。
そのため、創建当初の仏堂や、鳥羽天皇・近衛天皇の陵であった2基の三重塔(本御塔・新御塔)は失われています。
本御塔は慶長17年(1612年)に仮堂が建てられた後、幕末の元治元年(1864年)、瓦葺き宝形造屋根の仏堂として再興されています。
この建物は安楽寿院西側に現存し、鳥羽天皇安楽寿院陵として現在は宮内庁の管理下にあります。
一方の新御塔は豊臣秀頼が片桐且元を奉行として慶長11年(1606年)多宝塔形式で再建したものが寺の南側に現存し、近衛天皇安楽寿院南陵としてやはり宮内庁の管理下にある。天皇の陵墓に多宝塔を用いる稀有な例です。
境内の建物
境内には大師堂、阿弥陀堂(薬師堂とも)、書院・庫裏などが建つがいずれも近世以降のものです。
本尊を安置する阿弥陀堂よりも弘法大師(空海)像を安置する大師堂の方が規模が大きいです。
- 阿弥陀堂(薬師堂) - 本堂。
- 大師堂
- 鐘楼
- 三如来石仏
- 三宝荒神社
- 収蔵庫
- 書院・庫裏
- 五輪塔
- 仏堂
- 多宝塔







アクセス
安楽寿院は京都の中心地から離れているものの、近鉄竹田駅から徒歩5分以内と交通の便は優れています。
安楽寿院には駐車場がないため、安楽寿院北側にある有料駐車場をご利用ください。
御朱印はもらえる?
結論から言うと、御朱印をもらうことは難しいです。
なぜなら安楽寿院は基本的に無人のお寺となっているため、御朱印をもらう手段がありません。
ネットの情報によると、隣接する住居に入ってもらうことができるようですが、ハードルが高すぎます。
僕ももらおうと試みましたが、住居入り口は柵が設置してあり、しかもインターホンすらありません。
さすがに、そこまでガードが高い場所に入ってまで御朱印をもらおうとする気はありませんでした。